田原さんは、よく対談に応じたものだと感心する。批判者に対するその懐のふかさは、同時に、多くの人に面談して情報を収集する田原さんのジャーナリストとしての“腕”とも関係してくるのだろう。
以下に抜粋を示すが、対談をとおして、「原発推進派・反対派」批判、「企業」批判、「メディア」批判ともなっている。また、行政が原発を推進するため、文化人に払ってきた犠牲(札束)についても知ることができる。
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佐高「『朝まで生テレビ!』とかでは原発反対派を装いながら、昨秋、資源エネルギー庁と青森県の共催で開かれた講演会では原発がいかに優れているかをぶったでしょう。地元の県議が情報公開請求したら講演料は110万円。高い。地方の講演なら公にならないと思ったんですか」
(中略)
田原「・・原発は危険なものだけれども、やめるわけにはいかないだろうと思っていました。慎重に注意しながら推進しなければならないし、電力会社も安全運転のために全神経を使っていると思ってました。というのが3・11前に僕の考え」
佐高「田原さんともあろう人が安全神話を信じていたんですか」
田原「いや、原発事故は起きると思っていた。人間がやることだから100%はありえない。しかし、こんな惨憺たる深刻な事態に陥るとは正直、想定していませんでした。加えて、東電がこれほど周章狼狽し、事故処理のめどをつけられないとは想像つかなかった。そんな状況下で、原発を新しく造ることは不可能だということです」
佐高「田原さん自身はスタンスが変わらないつもりでも、まわりはそう見ないんですよ。3・11前には推進派だったのが、大震災後はコロッと反対に転じた。しかも、推進してきたことに対する反省がないように見えるから問題です」
田原「スタンスが変わらないとは言わないし、変わった理由は今話したとおりです。どこで原発が間違ったのかを明らかにするため僕は今、取材し直しているが、原発推進派も反対派も極めて無責任だったということを痛感している。たとえば、869年の貞観地震が起きた時、福島第一原発周辺は10メートル以上の津波に襲われた。そのことは2009年の経済産業省の審議会で明らかにされたにもかかわらず、東電は福島第一の緊急冷却装置や自家発電装置を10メートル上げておかなかった。東電幹部に『なぜしなかったか』と聞いたら、『福島で10メートル上げると日本の全原発54基を全部上げないといけなくなる。そうすると破綻する電力会社が出てくる」という答えだった。
佐高「電力会社が人命より経済性を優先している証左ではないですか」
田原「そう。東電だけでも上げればいいのにしない。そこが原子力の無駄ともいえる問題。柏崎刈羽原発が中越地震で止まった後、福島第一は地震対策を講じなければいけないのにしなかった」
佐高「原発の根源的問題は使用済み核燃料の処分ができないことですね」
田原「だから脱原発派も無責任だ。『脱原発』と言えばすべてケリがつくと思っているが、54基の原発には危険極まりない使用済み核燃料がいっぱいある。それは六ヶ所村の最終処理場でガラス状に固めて地下300メートルに埋めることになっているが、ガラス状に固める技術が完成していない。フランスの技術を導入するという決断を推進派はしないし、反対派は止めた後のことを考えない。だから無責任だと言っているんだ。原発がかわいそうだね」
佐高「『ドキュメント東京電力』では東電社長を務めた木川田一隆が原発に猛反対しますよね。その木川田が原発推進に転向しますが、あれはどこで方針が変わるんですか」
田原「要するに原発には国と企業との壮絶な主導権争いがあって、企業が主導権を握ろうとする辺りから変わるんです」
佐高「原発は『悪魔の代物』という認識は変わらなかったということですか」
田原「『悪魔と手を結ぶ』と木川田は言っているくらいだから」
佐高「今の推進派の人たちに『悪魔と手を握っている』という認識はほとんどないですね。自分たちが蒔いた種にもかかわらず」
田原「自分たちが蒔いたと思っていないんじゃないか、何代も前のことだから。主導権争いで悪魔と手を結んだ限り絶対に安全にしなきゃ駄目なのに、その責任を果たさない。それが問題だと僕は言っている」
佐高「責任持って決断できる人間がいないという理由で、田原さんは原発をもう造らないほうがいいと考えているのですか」
田原「というより、日本ではもう造れないと思う。ジワジワ減らしていくしかないでしょう」
佐高「推進派は原発がなくなると大変なことになると喧伝しているけれど、具体的なデータを出してきませんね」
田原「それこそ誰も責任を持って決断できていないということですよ」
佐高「事ここに至っても推進派の人たちは安全神話を信じているんですかね」
田原「信じてないよ。僕は今、推進派の幹部たちに取材してるんだ。彼らに『絶対に安全だから続けるべきか』と聞いたら、イエスと答えた人はいませんでしたよ。中には、『日本国民は99%安全だが1%は危険だというのは許さない。だから絶対安全だと言うしかなかった』とこぼしていた人がいました」
佐高「安全神話を広めてきた人たちは本当は信じていなかったということですね。非常に重要な発言です。実名できちんと書いて国民に伝えてほしい。
僕は先日、東電の株主総会に行ってきました。脱原発の提案があった時、経営陣はいとも簡単に却下してしまったのにあ然とした。あれだけの事故を起こしたのだから、『検討します』くらい言わざるを得ないんじゃないかと思っていたんですが」
田原「株主総会に人間性とかヒューマニズムとか良心なんてないんですよ」
(中略)
佐高「原発をめぐってはメディアのあり方も問題になっています。新聞やテレビは政府や東電の発表、原子力ムラの御用学者の言い分をタレ流しました」
田原「メディアは事実の追求をやめて、『無難』の追求をやっていると思う。
3月12日午後、福島第一の一号機で水素爆発が起きる前に、建屋の気圧が正常値の8倍になったという話をある人から聞いた。何か異変が起きていることは間違いない。そこで僕は枝野幸男官房長官に電話して『何で発表しないんだ』と聞いたら、『政府は確証の取れた事実だけを発表するんです。田原さんの言っているのは推測です。推測は一切発表しません』だって。この発表の善しあしは別として、マスコミはどんどん推測していいはずなのに政府と同じ発表ばかりしていた。つまり、マスコミは事実の追求をやめて無難の追求をやったということです」
佐高「京大原子炉実験所で反原発の立場で研究・発言してきた学者、“熊取6人衆”をマスコミは平時に取り上げてきませんでした。事故後にやっと、頻繁に登場させています」
田原「メディアってそういうもんでしょ。熊取6人衆らは立派だと思う。京大原子炉実験所助教の小出裕章さんの本2冊読んだけど、人間的に素晴らしいよね」
佐高「原発がここまで推進されたのは、推進派にバイアスのかかった報道をマスメディアがしてきたからではないでしょうか。原発の危険性についてはほとんど何も報じなかったと言えます」
田原「それは、報じたところでテレビでは視聴率が取れないし、雑誌は売れなかったからですよ。『朝まで生テレビ!』で原発問題を5,6回やりましたが、視聴率は1%未満でした。当時一般の国民だって無関心だったんだよ」
佐高「今問題になっているのは、原発推進派が札ビラでひっぱたくようにカネで世論やマスコミを操縦してきたことです。田原さんはジャーナリズムの大多数は屈服したと思いますか」
田原「大多数はどうでもいいし、屈服するほうが悪いと思う。僕自身はきちんと番組を作ってた」
佐高「田原さんが会った推進派の人たちに、私が取材を申し込んだら会ってくれますかね」
田原「知らないよ、そんなこと。会えないとすれば佐高さんの腕が悪いんだよ。ジャーナリストってそういうものだと思う」
佐高「・・・・・・。それだけではないでしょう。経営者を批判した場合、それでも会う経営者は少ないですよね」
田原「少ないね。でも世の中、佐高さんのような人は必要です。『原発文化人50人斬り』で斬られた人たちはなぜ原発推進かを公に説明すべきだと思う」
佐高「そう言ってもらえると斬り甲斐があります」
(記事を構成したのは、ジャーナリスト・青柳雄介、サンデー毎日・奥村隆)
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講演料(110万円)の件で、田原さんが回答を避けているところをみると、ソレは事実にちがいない。
原発推進派が「札ビラでひっぱたくようにカネで世論やマスコミを操縦し」ようとしてきたのは確固たる事実であるようだ。
田原さんは、札ビラで頬を「ひっぱた」かれても、どっこいどこ吹く風、ホッペタをなでてもらったつもりで、批判の矛先はそれなりにチャンと向けてきたということになるのだろう。
田原さんは、この対談中「ぼくはジャーナリストだから、誰にでも会えなきゃだめだと思っているんだ」と言っている。
「斬る」のが大得意の佐高さんだが、「(取材を申し込んで)会えないとすれば佐高さんの(取材の)腕が悪いんだよ」と斬り返されては、さすがにグウの音もでまい。
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-04-22

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